
Muroken(ムロケン) Poetry-Performance.アースデイ2009
From[Poetry Gangsters-Video] 2009年4月18日、代々木公園メインステージに現れた「ポエ トリー・ギャングスターズ」。そのハイライトのひとつMUROK EN(ムロケン)によるポエトリー・パフォーマンス。『星に祈りを:ウッドストック・ヴァージョン』
葉山芸術祭出演 MUROKEN BAND SWEET WATER
嵐の葉山でSWEETWATER船出しました!

葉山芸術祭の初日、葉山在住のマイミク、トロピコリタンさんの企画で
海辺の眺めのよいレストランでライブやりましょ~ってことになり
やっほ~~手(チョキ) 相模川西では名うての
アコースティックバンドN.A.B
それに南足柄の孤高のペダル・プレイヤー、モリケンと
2月ぐらいから集まって作ったSWEETWATERなるグループで
デビューライブやってきましたあわーい(嬉しい顔)
あいにくの悪天候、おまけにお店には音響機材なし
スピーカー、マイク、アンプ、かきあつめて車3台のキャラバンで二宮を
出発。でもなんだかみんな気分うきうき。お昼前に到着した海辺レストラン

急遽、テラスから室内にステージ設定を変更。
きっとこんな天気では来てくれる人も少ないかも・・・
と思っていたら、な、なんとカリフォルニアから帰省中のミラと
ミラクルママ、うわぉ、ビッグ・スマイルでビッグ・サプライズペンギン雷
赤城山からなべさんとせっちゃん、いちかわKちゃんや
YOUTUBEにのったSWの演奏を聞いてファンになってくれた
ヤングマン中居屋くん、ひとり10人、
100人力の仲間がかけつけてくれました!
YELLOW ROSES
PUA LILILEHUA (with SHIG_ZEN GIRLS)
THE WATER IS WIDE
SITTIN IN LIMBO
NAB inst COFFEE RUMBA
OVER THE RAINBOW&OTHER SONGS
HONKY TONK WOMEN
GOODNIGHT IRENE
じんさん、すりむ、ゆうじくん、りゅうちゃん、もりけん
おつかれさま~楽しく演奏できたね
またやってくださいってマスターよろこんでいたよ!
かおるちゃんなによりの応援メールありがとう!
リハに出れず、迷惑かけてDBRのみんなごめんなさ~い
SWEETWATER そんなわけで嵐の日でしたが
船出しましたよろしくでっす
SWEETWATERの紹介

平塚、湘南エリアで活動するインストゥルメンタル・バンドN.A.B(中郡アコースティックバンド)とペダルスティールの名手モリケン、ムロケンが合流。誰でも知っている曲、誰の心にも響くような歌を!と誕生したのがSWEET WATER です。
メンバーはジンさん(ベース)、スリム(ギター)、ゆうじ(マンドリン)りゅうちゃん(パーカッション)、モリケン(ペダルスティール、バンジョー)ムロケン(ギター、ヴォーカル)当日はゲストメンバーも迎えてハワイアンからアイリッシュ民謡まで音楽で世界の旅をゆっくり楽しんでください。
タイムスケジュール
トークショーやるよ~来てちょ(^_^)1月30日(金)9時PM @下高井戸シネマ
ハロー、フレンズ、アミーゴ、恋人さんたち!
この週末はじっとしていると雪だるまになっちゃいそうな寒さだけど、みんな暖かく元気にしてますか?
実はおいらこの間、雨の日にすべって腰に稲妻ビビッ雷ふらふら1/18フレンドシップ・ライブ・パーティは痛み止め飲んで頑張ってたんだけど、みんなのエネルギーで、もうバッチリ回復わーい手というわけで日本にロック・シーンが産まれてきた70年代の様子を頭脳警察、はっぴいえんど、フラワー・トラヴェリン・バンドらの貴重ライブ映像と、いろいろな証言者たちのコメントをまとめたドキュメンタリー映画『ロック誕生』The Movement 70's の上映(10:05~11:20)にさきがけトークショーを友人でREMIXの編集長・野田努くんとぶちかまします。いまは伝説化している三里塚幻野祭に頭脳警察のパンタを出演させたり、日大のバリケードの中で催した“ロックはバリケードをめざす”というコンサートでヴァレンタイン・ブルーという名だった、はっぴいえんど最初の演奏をしかけたり(これ、ちょっと自慢ほっとした顔)無名時代のRCサクセション、クリエイション、キャロルらと東京ロックンロール・アンサンブル、風都市というジプシーイベントを六本木のアングラ劇場や渋谷BYG、京大西部講堂でやっていた頃の話メイキング・シーンにはしりまわっていたロック小僧時代のムロケン話これまであんまりしていなかったけどいい機会だからスピークアウトしまっす。
そういえばこの週末はサンフランシスコのフラワーチルドレンが最初に集まったトリップス・フェスティバルが開かれてから40と何年目LOVE & PEACEなTRIBEの長くて不思議な旅は時代を越え、国境を超え、続いているんだよね~ハート
フレンドシップパーティ最高だったよ!
PHOTO BY 清水伸充
イエ~イ、最高でした揺れるハート、エネルギーもらいました!
雷はぁ~っ本当に楽しくHAPPYな時間でしたね目がハートチェンジの希望を感じました!! WE ARE ONE !!!
ア~ウ~オ~、あれからもう何日も過ぎたというのにおいらのPC画面には笑顔マークの祝福メッセージがひっきりなしで飛び交っている
去年からの世の中バッド・バイブレーションをブッとばせ~と結集した音楽戦士たち20人 それに朝からギュンギュンに冷えこんで用意した花束の薔薇の花びらもこなごなはいたブーツも玄関先で凍りついちまうおよそイベントには不向きなバッド・ウエザー
ああ、それなのに、それなのに赤城山に積もる豪雪ものともせずパイプくわえたポパイ、ザ・スーパーマン千里の道もひとっとびで駆けつけてくれたなべさん&せっちゃん
ハイな音と美味しい酒のあるところならどこでも行きますハイ、ハイ、ハイアール忠、バンジー、たけさん、Kちゃん
フォエバー・ヤングのつっぱり、でっぱらDHフレンズセブン&びあんか、かどまん&わたり、レインボー兄妹たにやん、ちえこさん、ジュンにレイタに館長にキッシー、ゆうじくんハートに稲妻、唇に薔薇のハッピー軍団80人
ワシントン200万人に負けるともおとらない100人が集まって新春セレブレーションのときめきバイブレーションそれは、もう、ア~ウ~オ~言葉じゃいえない素敵なフレンドシップ・パーティ!!!
OVERHEADS LIGHTSHOWが初お目見えのお店の壁
処女膜破りで赤・青・黄色に炸裂あせあせ(飛び散る汗)
TOSHI のボーダレス・ドライブ・ギターがMUNCHY VIBESのソーイチ、コータのリズム・デヴィルズとからみ、もつれ、叫び、囁き、あやしいことといったらない!
(TOSHI, 本番前外出中においらを訪ねてきた女の子の名前を 忘れた重罪、熱演に免じて許すことにしよう。でも 誰だったんだよ~げっそり)
“HOW SWEET IT IS TO BE LOVED BY YOU”で
みんな大合唱はもちろん、KENちゃん、もーふ、ちいちゃん、すみちゃん、まあちゃん、助ちゃん、スイート&メローな和製JGB、やさしいイロコイ族 KEN & REFLECTIONS !!
初めてこうした集まりに来てくれたマドンナが、
“みんなほんとにやさしいファミリーなんですね”って立錐の余地もなくなった会場で、席をゆずられニッコリその言葉と笑顔においらはウットリ
みんなのいわずもがなのLOVE & PEACE の気回りビューティフルでしたっハート達(複数ハート)
この美しい夜の発案をして実現させてくれたターの周慶琴(ありがとう、慶琴!!)
それにマイ・ギター・ヒーロー、横山牧
マジカル・ベース、柴田むねすみ
スマイル・ドラム、森モンチさんのスーパー・インスト・グループ
KYSMが“GREEN SLEEVES” “PEGGY-O”で無限、いや夢幻境にGOOOO!
そして去年のOSHINO DEADにも参加してくれた
松本シェイヴアイス・バンド、KAOLUAというハワイアン・グループの歌姫、カオルちゃんが登場して“CAN'T FIND MY WAY HOME”
ア~オ~ウ~、まいりました、やられました、しびれました!!!
もう、ピークきちゃって、いまさら出てもね~と思いましたが
柴田くんダーリン、のりちゃんが作ってくれたフライヤーに名前のってるし、OBAMA新大統領が“責任”の時代と言ってるし、去年の暮れにおいらの軽い口車でこの日遠くから風車のあの娘あいくるしい笑顔で“がんばってくださいね~”
え~い、びびってられましえ~ん!!
それにしても、スタジオリハの時はたしか5人ぽっちのマイ・グループ本番になったら10人がステージ・エリアに結集してるって・・・
このスイートな裏切り者たち、いかにもデッドっぽいなあ
というわけで新春ご挨拶は、去年逝ったBO DIDDLEYにトリビュート
1・WILLIE AND THE HAND JIVE >
2・GOING DOWN THE ROAD, FEELIN' BAD ,
おなじく去年のOSHINOにも加わってくれたHOT KUMAジゾーさんのペダルスチールに、いま大活躍中売れっ子の愛ちゃん、かおる姫
客席の仲間たちと一丸となって、FEELIN' BAD,BAD.BAD コーラス
無策、無能の麻生首相はじめ、この国をこんなにした“指導者”たち思い浮かべて歌っていたら、なんだかとてもハッピーになれたよ。
大統領就任式前の記念コンサートでブルース・スプリングスティーンが、ピート・シーガー&ワシントン・ユース合唱団と歌った“THIS LAND IS MY LAND”(我が祖国)を書いた国民詩人ウッディ・ガスリーの曲で、あの日の横浜とワシントンはつながっていたんだ!
3・SWING LOW,SWEET CHARIOT
DBRはじめてのレゲエリズム・トライ。去年の暮れの2週間にあいついであっちの世界にみまかったパイオニア・ビート詩人、サカキ・ナナオや
一緒にたくさんのイベントやってきた下北沢・ぐ、のマスター、長内陽介、デッド・エンジェル、オノレ、らへのこれはトリビュート。
4・KILLING THE BLUES
5・LIKE A ROLLING STONE
どんな気分だい/ひとりぼっちで/帰る家もなく/・・
この星はいま/まるでローリング・ストーン
みんなで大合唱できてハッピー!
これにこりずにアッパラパー・ポエトは時代の気分にあった名曲に歌える日本語詞つけていこうと思ったり・・
ENCORE: I KOW YOU RIDER
そしてわざわざ来てくれたマイ・アロハ・フレンズ
松シェのメンバーで、ハワイ神話ミュージカルもやっている神保滋さん
カオルちゃんとならんで人気の歌姫、アクアちゃん、あの2007OSHINOでも踊ってくれたフラ娘、カナ・フランチェスカ
“プア・リリレフア”のパフォーマンスの心地よかったこと!!
ミキサーをしてくれたクマさん、スタッフ、出演者、みなさんおつかれさまでした~~。
THANK YOU FOR THE GOOD,GOOD TIME !!!
また、みんなで集まって万華鏡のようなコズミックな時を過ごすのを 楽しみにしてるよ~~~~
これは僕が旅をしていたころの話
勝手気まま、流れるままに生きていたころ、あちこちの街や田舎で出会ったり、拾った、いくつかのエピソードなんだ。 どこか別の、ここではない場所への憧れ、放浪への衝動なんてもの、アメリカにいると、いつどこで頭の上に降ってくるかわかりゃしない。大体広すぎて、それでいていつもハリウード映画のセットみたいな町ぼかりなんだから、灰色の摩天楼のかわりにココナッツの並木や、サボテンの前に自分をたたせてみたらどうなんだろう。そう思って気がついてみたらハイウェイの入口で目の前ビュンビュン走っていく車に指をつきだしてた、汽車の片道切符を握ってたなんて体験、誰だって一度はある筈だよーとそう話してくれたのはレッドウッド・シティというサンフランシスコの南にある小さな町の大工のおじさん。「’30年代の不況のころに中西部の故郷の町を離れ、貨物列車に乗ってありとあらゆる所へ行ったんだって、べっぴんさんを見つけ、子供ができ、大工の仕事をみつけ40年、町の建物の半分は自分が建てたんだよと笑ってた。気がついたら息子はギターかついで家をでてっちまった、こりゃあ、同じ血が流れてるわいって一人で苦笑したとか。同じころ、「旅してたギター弾きがサンフランシスコのラジオ局で仕事をみつけ、そのころはどの番組も生だから、よくスタジオまでいって応援してやったわい、「この世に住みかはありゃしな:…とか歌ってたよ。」え、ガーン、それは、もしかしてウディ?「そうウディ・ガスリーっていう奴だよ。」それを聞いてぼくはガーンときた。この大工の息子ジョンとあったのは東のポストンの小さなコーヒーハウス、そのころベスト・トレイン・ソングと呼ぼれた「ニューオルリンズの町」を書いたというスティーブ・グッドマンという歌手を聴きにいって、そのあから顔で背がズングリしたグッドマンの横でサイド・ギターをひいてたのがその息子だったから,西に行ったら家へよってくれと住所をもらい、当人とは会えずじまいだったけど、会えたのがこのおじさんてわけ。
ウディ・ガスリー
ボブ・ディランが師とあおぐアメリカン・フォークの父、ウディ・ガスリー。彼の伝記映画「わが心のふるさと」の今夏日本公開もてつだって、彼への開心が高まっている。1912年7月、オクラホマに生まれ、ギター片手に全米を放浪し、貧しい人々の生きざまを見つめながら、歌を作り、うたい、1967年10 月、55歳で死んだウディ・ガスリー。その粗野とも思える声には。民衆の叫びがしみついている。 「わが心のふるさと」(コロムビア YZ92FW)
73年冬のニューヨークでブルース・スブリングスティーンにはじめて会ったのだ
73年冬のイースト・コースト、ニューヨークの町、特に旅の発着所グランド・セントラルやグレィハウンドのバスターミナルのまわりでは、よくルー・リードのあのドゥッドゥドクーのリフレィンの曲「荒れた側を歩め」を聴いた。これはだいたい、黒いピンプみたいなシャツきて、昼間からなにするでもない、誰を待つでもないような連中が、黒人の男の子たちがするみたいに小型のラジオをかかえ、歩きまわりながら、田舎からでてきたてみたいな厚化粧ギンギンのキツネみたいな女の子見つけると、お尻のあとからくっついていって、日に何十回とかかるその曲にあわせて女の子たちの耳元にあの「ヘィ・ハニー、ヘィ・シュガー、荒れた側を歩くんだぜ、ドゥッドゥ……」とやるんだからたまったものじゃない。セクシーをとおりこして扇動的なそんな誘惑の仕方に強烈な印象をうけたものだった。 強烈な印象といえば、この冬に、ブルース・スブリングスティーンと、はじめて会った時のこともだ。友人のロッタ評論家ポール・ウイリアムスとコロンビア・レコードをたずね、レコードをもらってきて建物をまわったあたりの街角で彼と会ったんだけど、十年も昔から着てるみたいな皮ジャンパーにジーンズ、それに後ですっかりトレード・マークみたいになってしまったスニーカーをはいて、おなじくボロボロのギターケースさスプリングスティえさげてなかったら、あのバスターミルのまわりをうろつくパンクたちとあまり変わりなかった。すぐ横にはブロンドの愛くるしいガールフレンド、ダィアンがいて、まだレコードも出たばかりでブルースの名前を知るものは、よく彼のニュージャージーからのバンドが演奏するビレッジ周辺の人間をのぞいてほとんどいないというころだったが、もしゃもしゃのその頭といい、ぼくたちがいま世界でいちばんしあわせなんだという感じの二人の間のホットな空気といい、とっさにぼくはその十年も前凍りついたピレッジの街角を恋人と体をよせあって歩いている、ディラン『フリーホイーリン』のアルバム・ジャケットの写真を思いだしていた。ポールのところで、一緒に晩餐をすることになり、飯のできるまで、彼はそのアルバム(『アズベリー・パーグからの挨拶』)の写真をみせながら、両親が西海岸に引越していってからも、まだ彼やバンドの仲間や友人の若者たちがあつまっている、その海辺のコニー・アイランドのような遊園地のある小さな町の、貧しいけれど気楽な生活、ロマンス、夏の花火、冒険を雄弁に、えんえんとおしゃべりしてくれたのだった。羨ましそうにポールが「ニューヨークのシーンは、昔にくらべて火が消えたみたいだけど…」といれると、ここ10年ちかく最初はファン、ハンガーとして、次はバンドとしてシーンをやはり見つづけているブルースは「金なんだよね」とさらっといってのけて、演奏をやればやる
ブルース・スプリングスティーン
『明日なき暴走』(CBSソニーSOPO96)以来、あまり音さたのなかったブルールース・プリングスティーンが、マネージャーとのトラブルをついに解決して、いよいよレコーディングを開始。今回のアルバムには、60年代調の、メロディアスな曲が多いようだ。彼のプロデュースになるサウス・サイド・ジェニーも、彼についでアズベリー・パークから現れた十人組であり、ブルース自身の曲が3曲ほど入っている。ニューヨークの不良児が帰ってきた。
マッグレートフル・デット
ジェリー・ガルシアをリーダーとして、66年結成以来、ヒット・チャートNo1といった大ヒットは飛ばしらないのに、今なお根強いファンを持ち、その音楽的、思想的影響力は大。彼らのコンサートは、必ず3~4時間にわたって行なわれる。アリスタ移籍後初のアルバム「テラビン・ステーション」が6月24日アメリカで発売される。ガルシアは、最近のインタビューで、「われわれはすべてを芸術的にコントロールすることによって運命を切り開いてきた」と深淵なことをいっている。
飛べ飛ベジェファトソン・スターシップ
ウェストコースト、特にここサンンフランシスコは神話の町だ、新しい伝説と気違い、魔法使いの話でいっぱいだ三度の飯よりグレートフル・デットが好きなカメラマンのブルーから電話がかかってきて、市の美術館で開催されている、かってのフィルモアやアバロン・ボウルルームのポスター展を見にいった帰りだ。「このごろやつら見ないな、そろそろ誰かと会えそうな気がするんだけど・・・」そういってブルーがぶつぶついっていたら、ばったり会ってしまった。デットのベーシスト、フィル・レッシュが坂の上からやってきたのだ。いろんなエピソードは聞いていたけど、デットやジェファーソン、ここらへんのグループの生き方はかってきままの一語につきる。かって作詞家・詩人のボブ・ハンター・ハンターと駐車場に置き捨てられたステーション・ワゴンの中で軍隊払い下げの曲ったパイナップルのカンをこじあけて食いつないだガルシア。金持の家の出身で音楽にひかれ、学校にいかず、ガルシアやヨーマ・カウコネン (ホット・ツナ)のギターにみせられ、フィルにつくってもらったニセの身分証明書で酒場にもぐりこんでジャムに加わっていたバッド・ティーンェイジャーのボプ・ウェア。そして若くて何もすることのない雨の日には、アパートの窓から、ちょうど下のハイウェイのカーブにガソリンをまいて、カープがまわりきれなくなる車があらわれるのを持っていたというこのフィルーー音楽がなかったら、バンドの今の大半はきっといまでもブタ箱だったかもね、と愉快そうに笑うフィルに、ぽくはややうらみをこめてぼくのデッド・トリップの思い出をしたものだーーそう二年前、ニューヨークからウェストコーストにむけて、車で出発した時、ラジオからは、高らかに旅の悲惨と栄光をうたうデッドの「トラッキン」が鳴っていたのだ。そして三日三晩、テキサスのカントリー・ステーションも聴きあきて、あとにラスベガスからロスまでの二時間ちかい坂道をとばすだけという時、なにかの予兆か車のテールランプがつかなくなったんだ。でも西は夕焼け、あとは五車線のくだり道、ドライバーだった相棒が 「さあロスにもどったらこの車売っぱらって、すこしのんびりいい思いしてやるんだ」とわめいた。 カーラジオからまたしてもデッドの「ゴーイング・ダウン・ザ・ロード・フィーリング・パッド」が聴こえてぎた。 「てやんでえ、フィーリング・グッドだよ」とまたドライバーのジェフ……とたんにグラグラっときて、みると車の左のタイアが別の方角に散っていくじゃないか。うっうっうっ、次の瞬間車はバイウエイのわきの丘にのりあげて二転三転……奇跡的にかすり傷のみの生還劇……それを話すとフィルの笑ったこと笑ったこと……。 「グレートフル・デフドというのはまさにそれさあ、一度くだっちまえば上るしかもうないんだよね」とか哲学者のような言葉をさらり。 「じゃあ、そろそろ奇跡をみようか」とフィルの言葉に外にでて、指さす方向をみたんだ。な・ん・とーーー青い青いシスコの町の上空に飛行機が一台、お尻からジェファーソン・スターシップ・ラプズ・ユーと書かれたののぼりがヒラヒラー。そういえば、その日はパレンタイン・デー、操縦席にいるのは飛行免許とりたてのジェファーソンのベーシスト、ピート・シアーズということでした。このおもいがけない空のラブ・レターのアイデアがうまれたのは、ジェファーソンのメンバーがナイアガラの滝にいったときのこと。もっとよいながめをと、柵の外にとびだしたメンバーのポール・カントナーとクレイグ・チャキーコ。さっそくとんできた警官にとがめられて「ぼくらはジェファーソン・スターシップの……」とつっぱったら、その警官顔をしかめて「どのスターシップでもいいけど、そいつにのってはやくあんたらのきた星にもどってください」といわれたとか、ではその通り、と今日のスターシグプ操縦になったとか……やれやれ、飛べ飛ベスターシップ気違い船よどこまでもか。
ニール・ヤングのどさ回りレビュー農村地帯をゆく
ニール・ヤングがディランのローリング・サンダー・レビューのむこうをはって、こちらは北カリフォルニアのサンタタルズ・マウンテンのあちこちに予告なしにローリング・ズマ・レビューをやっているという噂は前の年から聞いていたけど、今朝はおなじアパートに住み「バム」(ベイ・エリア・ミュージック)という不思議な音楽雑誌をやっているジョン・シュガーの情報。人口二千に満たない山あいラ・ホンダの町に、現われそうというニュース、なにしろコンサートのその日にならないとわからないという抜き打ちだから誰もわか。らない。風の噂を総合するといままで20回ちかくに渡るズマ・レビューをみたもの千人を越えないというのだから、その規模もしれるというもの。二時間近い探索の結果、見つけた、山奥の、きこりのたまり場みたいなひなびたクラブで、わずか 50人たらずの客を相手に演じている彼を!バックはクレイジー・ホースのめんめんで聴けたのは「カウガール・インザ・サンド」と「サザーン」・マン」にこやかに力いっぱいという様子であっというまに消えた幻でした。76年秋の話。 帰りの車中、「美しいなあニール・。ヤングは。いいトリップしてるなあ」とさかんに感嘆してるジョン・シュガー。この間のバレンタイン・デーで、二百人のゲイをあつめて大パーティをやってから毎日化粧で美しくしてるこの男、前はフロリダでゲイ・ディスコの司会、D・Jをしててある日ふっと気がかわって西海岸にでてきた男、ーーねえ、「荒れた側を歩め」って曲があるでしょう、あのシュガーって同じ名前だねきみと、ーーああ、あれは実はぼくのことなんだよーーガーンと絶句したぼく。やれやれ旅は、まだまだ終わるなんてもんじゃない。
ニール・ヤング
ローリング・ズマ・レビューの余勢をかってか、力作アルバム「アメリカン・スターズン・バーズ」 (ワーナー・パイオニア P10297)を発表。リング・ロンシュタットやエミルー・ハリスが。ハックに参加しているという興味深い顔合わせも楽しめる。6月15日から始まっているC・S・Nのアメリカ・ツアーには、どこかでまた二ー・ヤングの飛び入りがあるのではという噂が強いが、今のところ、特に独自のツアーの予定はない。 目下、気ままな一人暮らし中のよう。

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